東京台湾あっちこっち

東京にすむ30代半ば、台湾を好きになりいちから中国語。

『夫・車谷長吉』 高橋順子

 

夫・車谷長吉

夫・車谷長吉

 

 「数年前、地下鉄神楽坂駅伝言板に、白墨の字で「平川君は浅田君といっしょに、吉田拓郎の愛の讃歌をうたったので、部活は中止です。平川君は死んだ。」と書いてあった。

 十数年前のある夜、阪神電車西元町駅伝言板に、「暁子は九時半まで、あなたを待ちました。むごい。」と書いてあった。」

 

車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』の冒頭。当時大学生の私はこの書き出しで心がグラッと揺れるような感覚になりました。異様なもの、異形のもの、に触れたような気持ちになり、出てくる人達の背負う業のようなものに打ちのめされるかのようでした。そして、こんなにもギリギリの小説を書く人の覚悟を思いました。

そこから車谷長吉の小説を、エッセイを、沢山読むようになったのです。

 

この本は2015年に亡くなった車谷長吉の奥さんで、詩人の高橋順子さんの書かれた、夫婦のエッセイです。

二人の関係は、高橋さんの詩に心動かされた車谷さんが一方的に送る絵手紙から始まります。一般的でない二人の、独特な関係性は、1993年に結婚をし、夫婦となります。高橋さんの詩集もいくつか読んでいるのですが、柔らかで、それでいて、とても芯のしっかりと太い女性なんだろうなあという印象があります。

 

命を削るかのように小説を書き、沢山の人に訴えられたり、絶縁されて、精神を病んでいく車谷さん。それでも寄り添い、見守り、追い詰められていく精神世界に付き合い、共に居る高橋さん。

「結婚して二年と四カ月だった。この結婚は呪われたものになった。もしも私が「離婚しましょうか」と言ったら、長吉は「はい、分かりました」と言うに決まっている。試しに言ってみるなどということは許されなかった。だから私は冗談にもそれだけは口にしないできた。長吉も一度も口にしなかった。」

 

 

私は結婚していませんが、親や友達、知人の夫婦を見ていると、「夫婦」っていうのはその夫婦の数だけ形があるんだなって思います。この人とあの人だからこその形を作っていくんだなあと。この夫婦の形がいいなって思ってもそれはあちらの夫婦には当てはまらない。正解なんてどこにもなくて、周りがどんなに否定したって、当の二人が幸せならそんなもの、なにをかいわんや。

 

私には良く分からないし、私だったらしんどいかもなーーという関係性を上手くやっている夫婦もいますしね。ゆるやかにしっかりとそれぞれの形になったり、または築くことを止めてそれぞれの道を選ぶ元夫婦もいるし、「普通」の夫婦も友達も家族もそんなものはどこに行ったら会えるのでしょう。

 独特の形をしている関係性は、その人たちのぶつかってきた関わってきた証だし、誰にも何も言えないものですよね。ただただ心の中で幸せでいてほしいなあ、と呟いて、あとは眺めているだけ。

他人には分かり得ない色々を抱えてそれぞれに関係しているんだなって思うことばかりです。ぐるぐるしてきます。

 

 

母親に泣きながらもう書かないでくれと何度も懇願され、車谷さんは亡くなる数年前から小説を書かなくなる。そこから明らかに精神の張りのようなものを失った数年間の記述はなんとも寂しさの漂うものでした。書く、という自分自身の恐ろしいほどの業を抱え込み凄まじい覚悟で生きてきた、そこから発生するものにまた自分を痛めつけながらそれでも書かずには居られなかった、そんな人だったのでしょうか。

 

車谷さんがいかに高橋さんを必要としていたか、高橋さんがいかにそんな車谷さんを見つめて寄り添ってきたのか。二人が様々に転げ回りながらこの二人にしか分かり得ない関係性を積み上げてきたのか、それがつまったエッセイでした。

 

「長吉は二階の書斎で原稿を書き上げると、それを両手にもって階段を降りてきた。「順子さん、原稿読んでください」とうれしそうな声をだして私の書斎をのぞく。私は何をしていても手をやすめて、立ち上がる。食卓に新聞紙を敷き、その上にワープロのインキの匂いのする原稿を載せて、読ませてもらう。

 私は評論家ではないので、なにほどのことも言えない。「すごいね」とか「いいねえ」とか、途中で笑ったり、平仮名の抜けている箇所を注意したり、「女の人はこんなふうに言わないよ」とか、単純なものである。それでも長吉は儀式のようにまず私に読ませた。」

 

重ねてきた時間のなんと素敵なことでしょう。もう戻らない時間のなんと寂しいことでしょう。

でもね、ほんとに車谷さん高橋さんより先に逝けて、良かったなってなんか思いました。そんな二人の時間をちょっとだけ垣間見るようでした。