東京台湾あっちこっち

東京にすむ30代半ば、台湾を好きになりいちから中国語。

『歩道橋の魔術師』 呉明益

 

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

 

 小さい頃、私の毎日は不思議と冒険と驚きと見知らぬ世界と一緒にあった。世界は危険に満ち溢れていて、白線を踏み外せばそこはワニのわんさかいる沼だったし、あの電柱まで息を止められなければ呪いをかけられて死んでしまうし、学校までのマンホールをひとつでも踏み忘れたらその日は絶対に良くない事が起きる。そういうことになっていた。それが本当だった、私の世界の本当だった。

 

大きくなれば、日本の道にワニはわんさかいないし、呪いをかけてくるのは誰なんだよって話だし、マンホールと良くないことの繋がりが全く意味不明だしそもそも良くないことってなんつう大ざっぱな話なんだ!と小さな私に苦笑いひとつ、突っ込みもいれられるけれど、あの頃の私は真剣で、それを信じていたし、それが世界の真実だった。

でも未だに時々、飛行機に乗っていて窓の外に広がるモクモクの雲に乗れないことに気持ちが追いつかなくてドキドキする。理屈でははっきり知っているのに、嘘でしょう?!みたいな気持ちが消えない。だってあんなにモクモクなのに、気持ち良さそうなのに!どうして!どうしてよ!と思う。

雪が降るとわくわくして、楽しくなり、次の瞬間明日の出勤を思い出して今の私の生活に戻ったりする。

 

今のいわゆるしっかりと地に足の着いた現実と、子供の頃の真実の世界が行き来するときが未だにある。

 

『歩道橋の魔術師』は1961年から1992年まで台北にあった商業施設「中華商場」が舞台の短編集で、それぞれの主人公は1970年代に生まれた子供たち。台北駅から今も活気のある西門町のあたりまで続く大きな大きな商業施設・集合住宅は、戦後台北のランドマークとして巨大なネオン広告が輝き1000軒以上の商店が軒を連ねるそれはそれは活気溢れる場所だったそうな。

 

私は勿論目にしたことはないのだけれど、この本を読むと1980年代中華商場の様々な人が行き来して、物も人も溢れ、それでいて皆一様に裕福ではなく、雑多な中にいいも悪いも嬉しいも悲しいもひっくるめての生活があったことが匂いや音までも伝わってきそう。踊り場にある汚い共同トイレや「元祖はここだけ 具なし麺」のお店のガチャガチャうるっさくて油まみれの厨房が浮かぶ。

 

短編集の主人公はバラバラだけど、それぞれのお話に必ず登場するのが「愛」棟と「信」棟にかかる歩道橋にいる魔術師だ。(中華商場はそれぞれ忠、考、仁、愛、信、義、和、平の棟に別れていたそうな!でっけえ!)魔術師はいつもきったない格好でマジックを売っている。それはありふれたマジックで、だけど時々、本当に信じられないような魔法を見せる。

かつて中華商場にくらした今の大人はそのことを覚えている。魔術師の全く違う場所を見ているような右目と左目と一緒に。汗と学校と親の手伝いと初恋と死んだ小鳥やレコードや中華商場のそれぞれのお店のことと同じように、その、自分の暮らす世界から目眩のように見せられた本当の魔術を覚えている。魔術師は「お前が本当だと思うなら、本当だ」と言う。

 

小さな頃のあの世界を否定するのは簡単だ。そんなことないって知っている。

毎日電車に揺られ出勤してオフィスワークをこなす私は知っている。ワニが居ないことも呪いがないことも良くないことはきちんとそれに繋がる大元があることも雲に乗れないことも雪が降っても会社へ行くことも。

だけど、それを真実だと思っていた、今よりずっと小さな、だっせえアップリケついたジャージにばあちゃんの編んだセーター着ていた私の信じた世界が絶対に嘘じゃなかったことも知っている。あの瞬間呪いに怯えていた私は誰がなんと言おうと私の見ている世界の真実にいたんだと思う。

 

私には想像も出来ないそんな真実の世界を胸に秘めて、この電車の中の人達は会社に向かい、大人の生活をしているんだろうな、などとこの本を読んだあとの通勤電車で思う。あのスーツのサイズが合っていない細身の男性はかつてフック船長も逃げ出すくらいの海賊だったかもしれない。あちらの綺麗に巻いた髪の女性はいつだったかとある国の王子様と身分の違う恋に泣いたのかもしれない。いや、あっちのあのひとは昔地球滅亡を救ったことすらあるのかも。

などとそれぞれにかつての真実を抱えながらたまたま乗り合わせた話すこともない同じ車両の人を見回すこの頃。

 

台湾のかつての活気を(今活気がないのではなく、当時の、活気を)匂いも音も感じられるし、自分のかつての本当も思い出す。みんなバランスとってやっている。生活ってすごい。淡々とした描写は嬉しいも悲しいも加担することなく描いている。

ぜひ読んでもらって皆さんがどんな本当の世界にかつて居たのか知りたいな。わたしのように呪いに怯えていた人もきっと居るはずだ。そうでしょう?

 

それから、子供たちが家を抜け出して夜中の中華商場歩く描写はきっと誰もが感覚を思い出すはず。あの、昼間と同じ場所の全く違う感覚と大人に黙ってきた感覚の合わさった緊張感!

くううーーーそんな話を聞きながら酒でも飲みたいくらいです!

私のスナックママの気質がそんな気持ちにさせてくる、ノスタルジックだけでない、それを抱えて生きる人を思わせるような、そんな2018年読書始めでした。